松戸生まれ 松戸育ち 松戸市議会議員

令和7年3月定例会

(2)学びの松戸モデルでの「ことば」について

(1)に関連した、学びの松戸モデルでの「ことば」について

令和7年度教育施策方針では >相手の考えを理解し、対話を意識し、「傾聴」すること。そして、自分の考えを伝える努力をすること。「ことば」を使い、人が「つながる」ための「教育」に取り組んでまいります。
とあります。

「相手の考えを理解し、対話を意識し、「傾聴」すること。そして、自分の考えを伝える努力をする」場面には、話し言葉や書き言葉も含まれると思います。

日本語の文字を読むことが困難な児童を含め、「ことば」を使い、人同士が「つながる」ための「教育」に取り組むとき、コミュニケーションを行う言語は「日本語」と解釈してよいでしょうか。

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答弁:生涯学習部長
(2)学びの松戸モデルでの「ことば」について
「ことばを育み 人がつながる 学びの松戸」。これは、「学びの松戸モデル」の基本理念です。教育長が教育施策方針において述べたご指摘の箇所につきましては、この「学びの松戸モデル」の理念を、引き続き大切にしていきたいという思いから述べたものでございます。
この「学びの松戸モデル」の中で、このことを理念とした背景を述べていますので、少し長くなりますが、紹介いたします。
「ことば」はヒト科のヒトだけが身に付けた能力であり、ヒトは「ことば」を交わすことにより、仲間をつくり、コミュニティをつくり、文化を発展させてきました。「ことば」は人間社会の礎(いしずえ)といえます。その「ことば」から、文字が生まれました。文字は、それまで直接会うことでしか生まれなかった「つながり」の質を変えました。距離を超(こ)え、時間を超(こ)えて、直接会うことのできない人と「つながり」を生み出すことができるようになったのです。
多様性が進み、一層コミュニケーションの必要性が高まる中で、ICTの急速な進化などの影響として、「ことば」や「つながり」の意味合いが大きく変わってきています。

このような意味となりますので、「学びの松戸モデル」の理念が指す「ことば」とは、必ずしも日本語だけを指すものではございません。 しかしながら、松戸の学校教育の現場におきましては、外国語の授業を除いては、日本語を主として授業を行っております。

以上、答弁といたします。

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これまでの、 施政方針についての (2)人口50万人都市における多文化共生について と 教育施策方針について の(1)日本語の教育について
は、あくまで それぞれの文化の相互理解や生活するため言語習得として行うことがわかりました。

さいごのことばについて、子育てにも関わる内容として 一般質問全体を通して 提案を申し上げます、

生涯学習部長から
ヒトは「ことば」を交わすことにより、仲間をつくり、コミュニティをつくり、文化を発展させ、その「ことば」から、文字が生まれましたこと、 時代背景から「ことば」や「つながり」の意味合いが大きく変わってきていること、
これからの正解の見えにくい時代において、「ことば」が人と人との「つながり」の中で根本(こんぽん)の要素であることを改めて認識し、これまで以上に異なる価値観や考え方を認め合いながら、文化を育み、教養を高めるまちを形づくっていく必要があること を伺い、

この全体的な時代の流れを通して、「学びの松戸モデル」の理念が指す「ことば」とは、必ずしも日本語だけを指すものではないが、松戸の学校教育の現場におきましては、外国語の授業を除いては、日本語を主として授業を行っております。

という答弁でした。

ことばの多様な表現をしていただいた一方、学びの松戸モデルの基本理念について、母国語である日本語の位置づけがないこと、少なくとも日本であるのだから、日本語が基軸になるのは当たり前という公共教育を受け持つ教育委員会の答弁として言及がなかったこと、に寂しさを感じます。

学びの松戸モデルの基本理念に私たちの母国語である日本語の位置づけが無いことに寂しさを感じます。

日本語は母音が多く、音の高低アクセントが特徴的で、柔らかい響きを持ち
英語は強勢(ストレス)が明確で、リズミカルな発話、フランス語は流れるような音のつながりがあります。

今はなしている私のことばも、音として 日本語 という国の文化を反映した ものです。

言語は、芸術文化や国柄、人間性などに影響を与えあい、それは教育にも大きく関係しています。

学びの松戸モデルは、2030年に向けた松戸市教育委員会の指針であり、 そのなかの「期待する姿」に自立・誇り・つながりが挙げられています このすべてに母国語である日本がかかわっており、質問事項で多文化を取り上げましたようにこれからの時代
日本語というゆるぎないアイデンティティの象徴である言語を 学びの松戸モデルに明文化し
重要な基軸となる言語として位置付けていただきたいです。

他の自治体の取り組みとして
世田谷区では、平成15年度より「深く考える子どもを育成する」、「自分を表現することができ、コミュニケーションができる子どもを育成する」、「日本の文化を理解し大切にする子どもを育成する」という、3つのねらいのもと、「美しい日本語を世田谷の学校から」と題した政策を行っています。

日本人が培ってきた言語文化や感性を基にした見方・考え方を働かせ、日本語の響きやリズムを楽しみ美しさを味わう活動や、日本文化や人々の生き方等について深く考えたり伝え合ったりする活動を通して、資質・能力を育成することを目的とし、教科「日本語」として、世田谷区立の全小・中学校で行われています。

この教科「日本語」は、全国的に展開可能なモデルとして国に認められ、文科省に申請すれば全国の自治体や学校で実施可能となっています。

日本語の素晴らしさや母国の持つ文化を学び松戸でいろいろな意味での共生ができるよう
言語活用課の日本語学科などと統合し、さまざまな文化や学習を包含した教科となるよう、合わせて取り入れていただきたいです。

最後に、今回の子育て、多文化、言語を通し
これからの松戸市に大切だと感じることを述べさせていただきます。

養育者の愛着をとおし、情緒の安定、自己肯定感が湧きあがるようにすること、さらに母国語である日本語を大切な言葉として位置付けることは、多様性や合理的配慮、多文化を理解するため、自分自身の土台を作ることのつながると感じました、

どのようなことかというと、 しっかりと根を張った木は、風に吹かれても倒れず、他の木と共生します。しかし、根が浅ければ、強い風が吹くと簡単に倒れてしまい、結果的に周りに与える影響も大きくなります。同じように、自己の土台を持たない人は、環境や流行に振り回され、真の意味で他者を尊重することができなくなります。

これからの激動の時代、自分自身の軸が揺らいでいることは、単なる流される生き方に過ぎず、他者への配慮も表面的なものにとどまることになります。 せっかくの素晴らしい施策、政策があり、屋台骨のように支えあっていますから これからも子育ての政策はそのままに、

国籍を問わず、松戸市民全体の大きなコミュニティとしての共通の言語としての日本語の重要性を 子どもたちの教育教科や、ほかの文化を学ぶための、多文化共生の政策の一つとして盛り込んでいっていただければと思います。

以上で、私の一般質問を終わります、 ご清聴ありがとうございました。